2011年8月3日水曜日

リーガルマインド vs ビジネスマインド

弁護士と投資プロフェッショナルの仕事はどのように異なるのか?

人に最もよく聞かれる質問であり、自分自身、その答えを探し出す過程で当然ながらとても苦労した。僕が転職した当時は、弁護士からバイサイド(投資)ビジ ネスへの(MBA等を経ない)直接の転向の実例はなく、正直どのような挑戦が待ち構えているか検討もつかず、当初は不安で一杯だったのを覚えている。もちろん、エクセルのスキル等テクニカルな点は数多くあるが、今回は、より根本的な点で、両者で求められる仕事の性質にはどのような違いがあるかを考えてみた。自分自身の経験に照らして考えると、弁護士と投資プロフェッショナル(*1)の仕事の大きな差異は以下の3点にまとめることができると思う。

正確性に対する拘り
法的三段論法 vs 仮説思考
専門家 vs ゼネラリスト

以下、順番に詳しく見てみよう。

正確性に対する拘り

弁護士に限らず、法曹の仕事は一般的に、極めて厳格な正確性が要求される。「概ね正しい」弁護士のアドバイスというのは何ら価値を有さない。法律は社会通念や経済合理性に適ったものであることも多く、法律実務家にとって、ある行為/状況の適法性や関連規制は、多くの場合、深い調査なしでも概ね見当がつく。また、極めて短期間で工数をかけずにドラフトした契約書も、十中八九問題になることはないだろう。しかし、当然ながら、それは法律家の仕事としては甚だ不十分である。最新の法令、判例および実務事例に常に精通し、都度最善の調査を尽くした上で、可能な限り完成度を高める能力/メンタリティがあること、が法律家が法律家たる所以である。「神は細部に宿る」という言葉があるが、法律家の仕事にはこの言葉がまさに当てはまるように思う。法律家の書いたメモや記事に、数多くの注釈が付されるのも、引用や注記で正確性を担保するためであり、多くの場合、素人にとっては(あるいは、時として同業者にとっても)内容はお世辞でもわかりやすいものとは言えない。金融商品取引法や税法は、極めて論理的な世界を形成しており体系的に理解した時の喜びはひとしおだが、素人にとっては絶望的と思われるくらい複雑である。クライアントに対する成果物であるレポート等においても、厳格性を犠牲にして、わかりやすい図表や簡潔な言葉 で説明することは行われないのが通常だ。

他方、投資に限らず、ビジネス一般においては、状況が全く異なる。まず第一に、ビジネスの意思決定においては、いずれにせよ一定程度の不確実性は不可避であって、したがって、情報収集コストとのトレードオフの観点から、ある程度以上の精度の情報の取得はそもそも奨励されない。たとえば、9割方正しい情報を迅速に収集し適宜 状況に応じた意思決定をすることのほうが、時間と工数をかけて、より確からしい情報を収集してから意思決定するよりも多くの場合合理的である。第二に、同 一組織内または複数組織間における情報処理コストの観点から、正確性は劣るがよりわかりやすい情報のほうが価値が高い場合も数多く想定される。その結果、 ビジネスの場面では、枝葉末節は取り除いて、簡潔な表現と図表を用いる形式でコミュニケーションが行われることが多くなる。弁護士はWordを好んで用 い、ビジネスパーソンは図表の使用に適したPower Pointを用いる、といった事象は、このことの一つの表れと理解できる。

お、上述のとおり、細部まで注意を払うことは法律家にとって必要な要素であるが、クライアントに対して細部まで説明するべきかどうかは別問題である。僕は、転職後も、プライベートエクイティという仕事の性質上、企業買収の際の契約書作成やDue Diligenceの過程で弁護士の方々とは数多く仕事をしたが、会議の際に、弁護士の方が、我々が投資家として興味のある経済合理性とは関連性の薄い細 かい法律論点を長々と説明されたため、チームの他のメンバーの機嫌が悪くなったというようなことも時折あった(僕自身は、テクニカルな論点についても興味 があるので、むしろ聞き入ってしまうのだが)。プレゼンテーションにおいてテクニカルな論点にフォーカスしすぎるというのは、弁護士だけでなく、会計士・ 税理士についても同様に見られる事象である。個人的な経験では、業界でも大物と言われるような弁護士は、正確性の追求は当然の前提として、テクニカルな事柄にはなるべく触れずに、大局的な見地を踏まえ、クライアントに対してわかりやすいアドバイスを提供することに長けているように感じる。

法的三段論法 vs 仮説思考

次に大きな差異と考えるのが思考方法だ。法律家は、法律によって規定された要件または確立された判例を前提に、かかる前提(いわゆる「大前提」)の個別具体的事実(いわゆる「小前提」)に対する適用可能性を検討し、結論を導く、という思考回路で物事を考えるよう徹底的にトレーニングされている。大前提となる 法律や判例については、その解釈につき見解が分かれることがあるが、解釈は立法の経緯・学者の意見等を総合考慮して行われるもので、法律実務家が試行錯誤し自己で作り上げるものではない。もちろん、憲法訴訟等、大前提の内容につき争うような事例もあるが、基本的には、法律実務家の仕事はむしろ、与えられた大前提を前提に、証拠から事実関係を推論・整理し、それをどう当てはめるか、という点にあるように思われる。法的三段論法は演繹的な思考方法であ り、大前提が正しいとの前提のもの、当てはめのロジックが正しければ、結論も正しいものとなる。導かれる結論が社会通念や経済合理性から逸脱するケースもあるが、「悪法も法」なのであって、社会通念上の相当性や経済合理性のみを根拠に結論を導くことは許されない。したがって、法律家は、感覚/一般的ロジッ クで物事を判断するのではなく、法律上または契約上、どういった要件を満たせばどういった効果が発生するのか、という点を法律の枠組みの中で論理的に考えることが必要となる。

他方、投資プロフェッショナルに求められる能力は、決まったルールを前提に物事を分析するというより、与えられた一定の(限られた)情報から投資テーマや事業分析の結論を仮説として立て、その仮説の妥当性を効率的に検証する方法を考え、検証の結果に基づき仮説を修正し、またその妥当性を検証する、といったサイクルをまわし、最終的に完成度の高い結論に辿り着くことを目的とする、いわゆる仮説思考にあると思われる。この方法は、限られた時間内で、情報の洪水に溺れること なく、限られた情報で効率的に結論を導けるという点に特徴がある。仮説の設定の際に有用なのが、経営学等で用いられるフレームワークの知識に加え様々な場面におけるそれらフレームワークの適用経験であり、数多くの経験を積むことが仮説設定のスキル向上の早道である。仮説思考はビジネスパーソンにとっては必要不可欠なスキルと考えられ、ビジネススクールにおけるケーススタディにおいて求められているのも、大量の情報からエッセンスを抜き出し、一定のフレームワークを用いて、事業の置かれた状況を分析し解決策を提示するという、まさに仮説思考そのものである。

言うだけだととても簡単に思え、ケースバイケースで適当な思考方法を用いればいいように思われるが、実際に、この二つの思考方法をうまく使い分けられる人は 非常に少ないように思われる。弁護士時代は、なぜクライアントは三段論法的な厳密な論理的思考ができないのかと時折思ったものだし、逆に、投資プロフェッ ショナルの立場として働き始めた後、弁護士・会計士等の専門家と働く際に、仮説思考をうまく使えばもっと効率的に仕事が進むのにと思ったことも多々ある。

専門家 vs ゼネラリスト

最後に指摘したいのは、必要な知識の深さ/広さという観点だ。当然ながら弁護士は法律の専門家であって、法律以外の事項については、アドバイスすることを期待されていない存在だ(*2)M&Aのように、当事者のほか、投資銀行、会計士、税理士等の各種専門家が関与する取引においては、それは特に顕著となる。さらには、毎年数多くの法改正や実務上の新たな動きがあることから、法律実務家が複数の分野で最先端の情報に常に精通することが日に日に難しくなっている。その結果、企業法務弁護士の中でも、M&A、証券発行、ファンド組成、事業再生、危機管理等の専門分野の細分化が進んでおり、比較的ジュニ アの時点から、一定の分野に関する深い知識と経験を積み上げることが求められるようになっている。そして、大規模M&A取引等、複数の法分野に跨る取引についてアドバイスをする場合には、異なる専門性を有する複数の弁護士がチームを組んで業務に当たるのが通常だ。近年進んでいる法律事務所の大規模化は、複数の専門分野に跨る高度な法的アドバイスの提供の必要性から要請された必然的な結果と理解することが可能であろう。

他方で、投資プロフェッショナルは、シニアレベルにおける業界担当による棲み分けはあるものの、投資家にとって一番重要なビジネスの分析・理解に加え、財務モデリング、売り手/銀行団との交渉、法務/会計/税務/人事等に関する重要事項の理解、買収後の経営サポート等、より広範囲の業務を担当する必要があ る。広範囲であることから必然的に、各分野に関する知識の深さという点では限定的とならざるを得ず、特に法務・会計・人事等テクニカルな点については、自己の知識というよりは、各種専門家のサポートを効率的に受けながらいかに効率的にプロジェクトを進めていくかという点が重視される。とてもお世話になった元上司が、「各人が異なるコアスキルを生かしながら総合力で戦うという点で、PE投資は総合格闘技みたいなものだ」とよく言っていたのを思い出す。なお、これら全てに関するスキルをゼロから構築するのは不可能に近いので、投資プロフェッショナルは、投資銀行・経営コンサルティングファーム等で実務経験を積み、一定の専門的スキルを身につけてから転職するというケースが圧倒的に多い。なお、弁護士出身の投資プロフェッショナルは、アメリカでは少なからず存在するが、日本では極めて稀である。


以上の分析は、僕自身の個人的経験に依存する部分が多く、決して網羅的な検討とはなっていないが、投資/ビジネスの仕事に興味を持っている法曹関係者/志望者の方に少しでも役に立てばうれしく思う。


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*1 なお、本稿における「投資プロフェッショナル」はプライベートエクイティ(PE)投資プロフェッショナルのことを指す。

*2 例外はあり、たとえば、倒産実務においては、法律家(管財人等)が複数の利害関係者の調整役を担うことが期待されており、純粋に法的な事項以外の業務が占める割合が大きい。