2012年2月13日月曜日

アメリカの大学という選択肢

スタンフォード大学に留学してからよく、「大学(学部)の時点でアメリカに来ていれば、より若い時点でこのような刺激を受けることができ、また、若い頭脳でより色々なことを早く吸収できたのではないか」と考えることがある。

今学期から、ビジネス・スクール以外の学部の授業を、学部生(Undergrad)及び理系の大学院生と受けることが多くなったが、 授業から判断される生徒の平均的レベルは、(以前の僕を含めて)一般に日本の人々が思うほど高くはない。MBAの同級生で、韓国の名門であるソウル大学校出身の友人は、理系の学部レベルの生徒の質は、純粋に学問のレベルという点だけからすると、「平均的には」ソウル大学校の方が高いと言っていた。僕は、いわゆる文系出身なので、日本の理系の学生と比べる経験を持ち合わせていないが、そんな僕でも、科学科目の授業をなんとかこなせているという事実が、日本の学生にとっても十分に(いや、容易に?)届く範囲のレベルであることを物語っていると思う。

もちろん、アメリカの大学入試は、日本と異なり、純粋にテストの結果で判断される仕組みではないため、単に学業が優れているということが直接に合格に結びつくわけではない。ただし、日本の高校生の中には、単なる学業の枠を超えて、数学オリンピックや物理オリンピックで活躍する人もいるし、世界で活躍できる資質を持った人は多くいると思う。英語が難点とよく言われるが、今や、インターネットであらゆる情報が英語で収集できる時代であり、優秀でやる気のある人にとっては大した問題ではないだろう(日本の英語教育は一般的には絶望的に非効果的だが、質の高く実用的な英語教育を提供する塾等はあると聞く)。

最近は、灘高校等、日本の進学校の中にも、海外の大学に進学する人が毎年数人程度ではあるが出てきているという話を聞いた。これらの高校出身の知人と話す限り、一昔前の世代では、東大・京大を目指すのが当たり前という雰囲気だったようだが、それが最近は若干ではあるものの変わってきているようだ。


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今から約10年前、家族の反対を押し切り、系列の私立大学への進学という権利を棄て、受験の末東京大学に進学した僕は、意識が高く、かつ厳しい競争を勝ち抜いてきた同級生に囲まれた環境を「最高のもの」と疑わなかった。実際、大学では、多くを学び、遊び、そして生涯の友を得ることができた。優秀な仲間から刺激を受けた結果、入学当初は考えもしなかった司法試験の合格というおまけもついてきた。しかし、仮に当時、アメリカの大学という選択肢のメリットを今の僕と同程度に認識し、準備する環境が整っていたら、迷わずそれにチャレンジしていただろう。

日本の優秀な高校生にとって、アメリカの名門大学というのは十分に手の届くものであるし、また、彼らのうち多くにとって、世界を舞台とするキャリアを構築するにあたり、有効な手段であると強く思う。是非、彼らには、アメリカの大学という選択肢を真剣に検討して欲しい。


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