2011年10月31日月曜日

PE投資とオークション


先日のInvestment Managementの授業は、約85億ドルのAUM(Asset Under Management)を有する投資ファンドN社のManagind DirectorであるP氏によるケースだった。P氏は、Goldman Sachs、KKRを経てStanford GSBに入学した卒業生で、卒業後N社に参画し、現在50人以上いる投資チームのMDに就任した。①PEファンド業界における差別化、②(オークションではない)独自案件の存否の2点について興味深い学びがあった。

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1. PEファンド業界における差別化

P氏は、N社は以下の点で、他のPEファンドと一線を画していると述べていた。
  •  投資ポートフォリオ理論に反する、集中した投資
    • ポートフォリオ理論は分散投資の効用を説くが、N社の投資スタイルはそれに真っ向から反対するもの
    • 同程度の規模の投資ファンドでは最も投資数が少なく、その分投資先に深く関与することが可能
  • 保守的なキャピタル・ストラクチャー
    • 同程度の規模の投資ファンドでは最も借入(レバレッジ)の利用が限定的
      • 実際、第1号ファンドでは、レバレッジの使用は(当時の)S&Pの平均よりも少なかったほど
    • その結果、今まで投資先がデフォルトや財務コベナンツに違反したことは無い
    • レバレッジの利用に保守的であることは、リターンの観点からマイナスに作用すると思われがちであるが、実際は、売り手のマネジメントからの理解を得やすくなるという意味で、ファンドに大きな競争優位異性をもたらしてくれる
  • オークションには参加せず、独自案件(Proprietary Deals)にのみ投資する

日本にも多様なPEファンドが存在しているが、上記のようなファンドのストラクチャーを差別化ポイントとして挙げる例はないように思われる。自己のファンドの独自性は、米国ではどのPE投資家も指摘する点であるが、これは、米国においては、激化する競争環境を背景に、ブランドを築き上げた一部の巨大ファンドを除き、自己を他社から明確に差別化することが必要であるという事情を示しているようで、非常に興味深かった。

 
2. 米国における独自案件の存否

米国のPEと聞くと、株主の経済性を非常に重視する経営陣と、発達した投資銀行実務を背景に、企業を売却する際には、例外なくオークションが開催され、オークションを開催しない独自案件はほとんどないといった印象を持つのが通常であろう。

法的に見ても、デラウェア州会社法(柔軟な会社法と蓄積された裁判例を背景にニューヨーク証券取引所の半数以上の会社がデラウェア州の会社法を準拠法として設立されている)の判例上、会社の取引が会社の解体を生ぜしめる場合、取締役は株主が合理的に入手できる最大の価値を目指す義務を負うと解されている(いわゆる、レブロン基準。(Revlon Inc. v. MacAndrews & Forbes Holdings, 506 A.2d 173 (Del. 1986)))。

したがって、独自案件のPE投資は皆無なのではなかと思いがちであるが、実際は、多くはないものの、引き続きそのような案件はあるようだ。

P氏は、特にオーナー企業の独自案件が存在し続ける理由につき、以下のように述べていた。

「多くのオーナーにとっては、自分の懐にいくら入るかが重要であろうが、一部のオーナーにとっては、金額よりも、誰が(パートナーとして)自己のビジネスを発展させてくれるかが重要なんだ。」

オーナーが事業を売却する際に、経済性だけではなく、会社の事業・従業員のことを考えるというのは、日本ではよく見られる現象であるが、それは日本独特の事象として理解されることが多いように思う。このようなケースが、株主至上主義的な考え方が主流である米国でもまだ見られるという点は、非常に興味深かった。


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オーナー企業の買収案件で独自案件が多いのは、オーナー企業にとっては、経営陣/取締役と株主が一致しており、両者にconflict of interestがないことから、レブロン基準的な考えに必ずしも従う必要がないという点が挙げられよう。

更に言うと、デラウェア州以外の州の会社法は、他の関係者の利益を考慮する権限を取締役会に与えている(いわゆる、constituency statute)ことも多く、デラウェア州以外で設立された会社については、レブロン基準的な見方がどの程度妥当するかについては必ずしも明らかではないという点も挙げられよう。このconstituency statuteは、僕が、実務家弁護士だった頃、法律専門誌(旬刊商事法務)に論文を寄稿したテーマであることもあり、何か懐かしい。